なかなか手に入らないものほど、切実に願うものだ。しかし、一度自分のものになり、しばらく時間が経つと、まるで不要なもののように感じられ始める。それが物であれ人であれ同じことだ。すでに手に入れて慣れてしまったから飽きてしまう。しかし、それは自分自身に飽きているのだ。手に入れたものが自分の中で変わらないから退屈する。つまり、対象に対する自分の心が変化しないから興味を失うのだ。結局、成長し続けない人ほど簡単に退屈を感じる。むしろ人間として絶えず成長する人は継続的に変化するため、同じ物を持っていても少しも退屈を感じない。
- ニーチェの言葉より抜粋 -
私自身、成長が止まった人は退屈を感じる。私はなかなか退屈することがない。では、成長し続けているということか。わからない。心であれ、体であれ、考えであれ、能力であれ、すべてが変わっているということだろう。世界は面白い。そして、実は自分が一番面白い。「私」という存在は、いくら考えても考え直しても、新しく不思議な存在だ。そして、最も偽善的でもある。相手を配慮するために、自分自身を隠し、押し殺さなければならない。それが本当に相手への配慮なのかどうかもわからないままに。しかし、すでに配慮なしに自分の考えを伝えた結果がどうなるかをよく知っているため、これが正しいのだと考えている。
そして、これからは何かを見せたりするような一切の行為はしないことにする。自分自身を隠すことが、今日を生きていく上で私にとってより大きな助けになるようだ。
停滞している人は、簡単に退屈を感じる。