[ニーチェ] 愛について

愛は、人の中にある美しさを発見し、その美しさをずっと注視しようとする目を持っている 。愛は、人をより高い次元へと引き上げようとする欲求を持っている。

勉強や交際、仕事や趣味、読書など、何か新しいことに出くわしたときの賢い対処のコツは、最も広い愛を持って立ち向かうことである。嫌な面、気に入らない点、誤解、つまらない部分を見ても、すぐに忘れるという心構えで、そのすべてを全面的に受け入れ、全体の最後に行き着くまで黙って見守る。そうすることで初めて、そこに何があるのか、何がその核心なのかをはっきりと見極めることができる。 「良い」あるいは「嫌い」といった感情や気分に左右されて途中で投げ出さず、最後まで広い愛を持つこと。これが何かを真に知ろうとするときのコツである

性欲に身を任せるのは非常に危険である。本来、真の運命であるはずの愛を忘れ、ただ性欲だけが二人のしがらみになってしまうからだ。 愛というものは、少しずつ成長していくものだ。何よりもまず、性欲を乗り越えなければならない 愛の発達に一歩遅れて性欲が伴う程度が適切である 。そうすることで、相手も自分も深い愛を肉体と共に感じることができる。それは、心と肉体の双方が同時に幸せになる道でもある。

愛とは、自分とは違う方法で感じ、違った生き方をしている人を理解し、喜ぶことである。自分と似た人を愛するのではなく、自分とは対立する生き方をしている人に喜びの橋を渡すことが愛である。 違いを否定するのではなく、その違いを愛するのだ。

尊敬というものには、ある程度の相手との距離が存在する。そこには畏敬の念が漂っている。互いの間に上下関係が作られ、力の差が存在する。しかし、愛というものにはそのような観点はない。 上下も、違いも、力の優位性とも無関係に包み込むのが愛である 。そのため、名誉心が強い人は愛されることに対して反抗心を持つ。愛されることよりも尊敬されることの方が気分が良いからだ。だから自尊心が強すぎる人は、時として愛されない。人が愛されるだけでなく尊敬までされたいと願う気持ちは十分に理解できるが、尊敬より愛を選択する方が、より幸せなことである。

愛は許容する。愛は、欲張ることも許容する。

誰かを愛するようになると、自分の欠点や気に入らない部分を相手に悟られないように振る舞う。これは虚栄心からくるものではない。 愛する人を傷つけないようにするためである 。そして、相手がいつかそれに気づいて嫌悪感を抱く前に、どうにかして自ら欠点を直そうとする。このような人は良い人間として、あるいは神に近い完全性に絶えず近づこうとする人間として成長できる。

他人の立場から見れば、「どうしてあのような人を愛するのだろう」という疑念を抱く。「特に優れたところもなく、外見も美しくなく、性格も特別良くないのに……」と考える。しかし、愛する人の目は全く別の場所に焦点を合わせている。 愛とは、他の人には全く見えない、その人の美しく高貴なところを見つけ出し、注視することである

- 『ニーチェの言葉』より抜粋 -

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