「勘違いしてはならない。自制心という言葉を頭で理解したからといって、何事も自制できるわけではない。自制とは、自らが現実において実践すべきことそのものである。一日一つ、どんなに小さなことでもよいから自制することを覚悟せよ。少なくともそれくらいのことを軽々と成し遂げられなければ、自制心があるとは言えない。また、小さなことに自制心を発揮できなければ、大きなことにおいても自制を期待できず、成功にもたどり着けない。自制できるということは、自分自身をコントロールできるということである。 自らの胸に宿る欲望を自ら制御するということである。欲望の導くままに引きずられず、自分の行動を確固として支配する主人となることである。 」
- ニーチェの言葉より抜粋 -
これまで生きてきて、自制心を発揮したことが何度あっただろうか。欲望を自ら制御すること。これまでの私は、心の命じるままに行動してきた。欲望の導くままに引きずられてきた。それが正しいと思っていたが、そうではなかったようだ。心の命じるままではなく、理性で判断して行動すること。自分の行動を確固として支配する主人となること。そのような行動をとるには、妥当な理由がなければならない。「なぜ」それをしなければならないのかについて考えなければならないだろう。自分自身の主人となるよう、一日一日、小さな自制心を発揮してみようと思う。
欲望 、その辞書的な意味は「 不足を感じて何かを得よう、あるいは享受しようと貪ること。またはそのような心 」である。
もっと寝たいという欲望、遊びたい欲望、性的欲望、もっと食べたい欲望、もっと持ちたい欲望…私の中に無数に内在する欲望を、一つずつ自制してみよう。合理化による順応ではなく、疑問を通した、自分自身を振り返る時間を持とうと思う。自らの行動を自ら選択するようにする。欲求や欲望によってではなく、純粋な私としてだ。
自らの主人たれ。